2013年6月30日 鄭泰奭教区長様「先生の心配すること」

私が牧会始めて2年経った1998年、韓国で牧会者していた若いメンバーが呼ばれて、お父様(文鮮明師)から、「お前たちは日本に行くのだ」と人事を命じられました。大勢の若い牧会者が日本に行ってしまうと韓国が大変との意見がありましたが、お父様は、「韓国は私がいるから問題ない。これからこの青年たちが日本に行ってやらなければならないことがある。それは父(韓国)の伝統を立てることだ。母(日本)には種が無いし、伝統が無い。だから父の種(伝統)を植えて、育てて世界の子供たち(世界の国々)を教育しなければならないんだ 」と。

※お父様(文鮮明師)の考えで、世界を神様を中心とした家庭に例えて、「韓国は父親、日本は母親、世界の国々は子女」とあります。

 

私の使命

それから16年経ちました。私はこの言葉が忘れることができないし、私が日本に来て牧会者してきた目的はこのためなのです

。また私たちが立てるべき伝統は、神様が願う伝統です。この世の伝統には個人主義的な要素が強いです。先生(お父様)が心配することは、統一教会の名前を後世に残すことではなく、如何に先生の伝統を相続した人を後世に残すかということだと言われました。私の家庭が神様の願う家庭になっているかということが重要なのです。

 

伝統こそが生きる道

いまアメリカで一番成長している団体はイスラム教です。西欧ではイスラム教のイメージは悪いこともありますが、中身を見れば良いことがいっぱいあります。イスラム教は1日に5回祈ります。仕事中でも、運動中でも5分か10分止まって祈るのです。ユダヤ教にしても、アブラハムからイエス様を迎えるまで選民として割礼という伝統がありました。モーセの荒野時代はその習慣もなおざりにされた時もありましたが、カナンを目前にして割礼をしました。伝統が生きている宗教は滅びません。

私も牧会者になる前に2年ほど会社に勤めたことがありますが、キリスト教徒は週末も働かなければならない状況でも、日曜日は礼拝があるからできません、と。礼拝の時間は自分の時間ではありません。神様の時間です。この伝統がキリスト教では生きているので滅ばないのです。

 

私たちが守るべき伝統

私たちの守るべき伝統は、朝5時訓読の伝統です。これを生命視して欲しいのです。お父様が死ぬ前まで守った伝統です。3時、4時まで徹夜しても休まず朝5時から訓読会をされました。これが私は統一教会人ですという宣布なのです。

 

そして究極的な伝統は侍る伝統です。堕落は神様と人間との親子関係の断絶です。復帰歴史はメシヤを通して祝福を受けて神様と人間の親子関係を回復していくことです。このために6000年かかったのです。ですから神様と人間の親子関係が修復されたら宗教の歴史は終わります。親が子供を愛するのが真の愛ですが、子供が親を愛する情的衝動が侍るということです。侍ることは義務や辛いことではなく、根本は親を喜ばせることです。親を喜ばせるには親の心情を知る必要があります。この親の心情を知るために訓読をするのです。

 

親の願い

では親の心情は何か。失った子供を探して欲しいということです。その親の心情が分かれば、言われなくても伝道するのです。ですから伝道が先ではなく、伝統が先なのです。このような内容をお父様は心配しておられるのです。

▲TOP