2013年8月18日 鄭泰奭教区長様 「私の一生の願い」

◇み言訓読

私は今、世の中にうらやむものがありません。堕落した世の中のものには関心がない人です。「神様が保護できる理想の国で死ななければならないのではないか。私がそのように生きていくことができなければ、私の生涯は悲惨な生涯ではないか。だから死ぬ前にその国を取り戻して、一日でもそこで暮らしてから逝かなければならない」というのが、私の一生の願いです。2013年1月13日までに、すべて清算してしまわなければなりません。その期間までにやらなければならない最も重要な問題とは何かというと、皆さんの一族が、氏族的メシヤの責任と、国家的メシヤの責任と、世界的メシヤ圏の責任と、天を統治する真の父母の責任を、完結することです。皆さんは日本人ではありません。体は日本人のものだとしても、神様の息子です。神様の娘です。神様の息子、娘だとすれば、神様の本郷の世界に向かう主人として堂々としていなければなりません。み言には天下がひざまずくのです。そのような意味で、新しい決意を固めなければなりません。 (文鮮明先生み言選集)

 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、明日のことを思いわずらうな。明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。  (マタイによる福音書6章31~34節)

 

神の国と神の義

天の父母様は、愛する子女がみ旨のためにすべてを投入しているならばそのまま放ってはおかれないと思います。私は100%そう信じてます。イエス様も、神様は私たちに何が必要かをすべてご存じであると言ってます。

この世では多くの人が老後のことを心配して生きていますが、死後のことを心配して生きる人は少ないのです。老後が長いのか、死後が長いのか。死後を心配して死後の準備をするものは老後も保障され、死後を考えないで老後ばかりを考える人は、もしかしたら老後も失い、死後も失うかもしれません。

ある食口(統一教会員のこと)で美容室を営んでいる方がいて、お客さんが来るたびに自叙伝(文鮮明師著「平和を愛する世界人として」)を配布しています。これは自分が統一教会人であると紹介しているようなものですから勇気のいることです。この世的に考えれば、そのお客さんの反応によってはお店にとって損になる可能性もあります。私はその方に言いました。「心配しなくても良いですよ。やがてこの国が神様が保護できる国になれば、あなたの店は髪を切りに来る人よりもあなたの証しを聞く人が列をなして来ますよ。そんな夢を持って欲しい」と。

真のお父様は、エデンの園でエバが過ちを犯し、アダムが責任分担を果たせなかったすべての事をわたしが越えたので、誰でも私について来さえすれば地獄に行くものも天国に行くことができる、と言われました。

 

信仰の目

また私たちが神様の息子娘であるなら、神様の本郷の世界に向かう主人として堂々としなければならないと言われました。ですからこの世の富、地位や権力の前に小さくなってはいけません、と。霊的には我々だけが持っている注射(み言、救いの力)を求める群れとして信仰的に見なければなりません。

真のお父様が金日成主席に会いに行った時も、この世の神のような権力者に会いに行ったのではなく、金日成主席の母親の心情を携えて行ったので、世界で誰もしたことがない、会って抱きしめたり、手を繋いで写真におさまったりできたのです。

4日後(8月23日 ※真のお父様が聖和されて1周年)にどのように真のお父様に会うのか、心の姿勢が重要です。この7年間で、真のお父様が求めた国を探し求めていきます、今まで拒否してきた人たちや、石を投げた人たち、唾をした人たちが、7年後には恥ずかしくて悔い改めて痛哭して涙を流せるようにして差し上げますという決意をもって真のお父様に出会わなければならないと思います。

神様の摂理には時があります。同じ時間があるならば半分は神の義を求めることに使って欲しいと思います。そうすれば奇跡も起こるかもしれません。

▲TOP