2013年9月8日 鄭泰奭教区長様 「永遠の財産」
今日のみ言
これまで皆さんは、統一教会に入って何をしましたか。それは深刻な問題でしょう。五十を超えるまで何年間統一教会で仕事をしましたか。その時から何人伝道しましたか。一年に何人しましたか。それは深刻な問題です。今後霊界に行って、そこでの個人所有権は何かというと、天国の民をどれほど連れて入っていったかということです。それが自分の財産、永遠の財産です。これからはそれを問いたださなければなりません。そのような時が来ました。今からは一日に何百万と伝道できる時が来るのです。統一教会にはそのようなすごい内容があるのです。 (天聖経 「人間の生と霊魂の世界」 より)
イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。 (マタイによる福音書10章5~14節)
責任と権能
イエス様が12弟子を呼んで、権能を与えました。人に会えば、悪霊を追い出す。聖書を見れば、悪霊を追い出す場面が多くあります。あらゆる病気、あらゆる患いを癒す。天が責任を与える時は、責任だけを与えるのではなく、必ずその責任に相応しい権能を付けてくださいます。モーセがエジプトから壮丁60万、家族を入れれば300万、出エジプトさせる時に、以前のイスラエル民族では絶対モーセに付いて来なかったでしょう。しかし、モーセには三代奇跡と十災禍の能力を下さいました。私も茨城に来ることになって、どうやってこの300万の命を責任を持つんだろうと思いましたが、イエス様が12弟子を送る時、神様がモーセを立てる時、ノアを立てる時、アブラハムを立てる時、責任だけでなく権能も下さった。だから皆さんも使命を果たす能力があるはずです。責任だけ与える神ではありません。
伝道による復活
イエス様は弟子たちに異邦人のところへ行くな、サマリヤ人の町にはいるな、むしろイスラエルの家の失われた羊のところに行けと言われ、津々浦々にまで福音をのべ伝えよと言われました。これは伝道の順番を言ってます。遠い人から伝道するな。まず近い人から伝道しなさい。自分の家族、親戚、隣り人、友人知人を伝道しなさいと。日本では、家の近くよりも遠いところに行きたがるようですね。そうではありません。
凡人聖人の差はどこにあるか。凡人は常に自分のことが心配で、自分のことで精いっぱい、しかし聖人は自分の心配を越えて、隣り人、世界を心配する人、その意味で真のお父様(文鮮明師)は聖人です。神様の事を心配する、世界の事を心配する、そして神様の一番喜ぶこと、すなわち失われた天の子女を探して、繋げてあげる、そうすることが一番神の喜びであり、私も嬉しい。なぜ我々が信仰生活をしながら心情が落ち込んだり、信仰的に復活しなかったり、最初伝道された時のように生き生きとならないのか、何故でしょうか。どうすればこれを治療できるのか。治療方法は一つだけです。伝道に行けば、みな治療できます。伝道すれば復活する。子供を沢山育てるお母さんがうつ病になる暇がない、忙しくてああだこうだと考える暇がない。とにかく精一杯で。それで健康なのです。霊の子(伝道した対象者)を育てるに忙しく必死な人も信仰的に下がる暇がない。常に復活している。新しい命の誕生を見ると常に復活している。そういうことで、イエス様は弟子たちを伝道に送るのです。
成長の秘訣
アメリカで教会成長の秘訣を調べた人がいて、伝道された経緯を調べたら、友達や親戚から伝道された人が86%、組織的に伝道されたのが6%、牧師から6%、テレビ、新聞などの広告からが2%でした。ある韓国の勧士(韓国の教会で精誠を捧げている人たち)が、毎日公園を散歩してて、ただ散歩するのはもったいないから、散歩の際に伝道のチラシを配布することにしたのです。それで2年後、結婚した息子の相手が何と配布して教会に来るようになった女性だったのです。結局、伝道の大きい運勢が全部自分に繋がってくるのです。
伝道に行く時、自分の持ち物が一杯あると、天を頼らなくなります。伝道に行くということは、天と自分が一本に繋がった状態で行くのです。いまの自分の運命は天のみが知っている。天のみに完全に自分を任せる。なのに食べ物も1週間分あって、服も充分あって、お金もあって、そうしたらそんなに伝道しなくても、そんなに神に頼らなくても、どこかでゆっくり食べればいい、寝ればいいと。イエス様はなぜひとつも持たせなかったのでしょうか? 天のみを頼るようにです。必要なものは伝道して得なさいと。私たちは、現実が大きくなると、天に頼る心が弱くなるからです。
動機は、父母の心情
これから多くの試練があるかもしれませんが、どれだけ人ひとりを生かすために天が役事し、大事にし、権能を与え、保護するのか。以前いたところでの話ですが、夜8時ごろ玄関のチャイムが鳴りました。小学校5年の娘の学校の二人の先生でした。何だろうといぶかしがりましたが、袋を持ってこられました。見てみると120円、シャーペン、娘に対する手紙が2通ありました。数日前の小学校の休校日に近くの公園で遊んでいた娘のところに、特別支援が必要な学校のある娘さんが学校を飛び出して近寄ってきて、アイスクリームを食べたそうなので娘が120円で買ってあげたそうです。そして健常な子供ならともかく、障害をもった子供の親の気持ちはどうでしょうか。いつも神経をその娘さんに注ぎ、子供を見る度に自らを責めたではないでしょうか。だからその娘にやさしくしてくれたことが、よほど嬉しかったらしく、学校の先生を介して私の娘を探して、感謝の手紙を書き添えてくださったのでした。
そのことから、真のお父様も霊界に行っても、天国にいっても、心は天国ではないと思います。霊的に障害をもったような、神を知らない人たちを生かしてあげようとする神様の気持ちは、我々の努力をどれだけ美しく、ありがたく協助したいのか。しかし、私たちは頼まれてするのではなく、私たちの仕事として伝道をするのです。1日5分でも、電話一本でも、手紙1通でも描いて、神の国創建の為に同参しましょう。