2013年9月1日 鄭泰奭教区長様 「全力投球 死生決断」
◇み言訓読
皆様、今日、私たちが生きているこの時代は、歴史的な大天宙的転換期です。歴史を変え、霊界と地上界を一つにして、神様が太初から願ってこられた理想天国をこの地上に創建しなければならない大天宙的転換期です。これ以上延期したり、延長したりする時間はありません。天はすでに2013年1月13日を“基元節”として宣布しました。実体的天一国の始発であり、起源となる日がまさに、その日なのです。3年も残っていません。
したがって、人類は今、天の命令に謙虚な姿勢で従順に従わなければならない時です。平和の王であられる神様の実体として地上界で摂理を経綸している真の父母様の導きに従い、残った3年間を全力投球、死生決断をしなければならない宿命的な時間が、今日の私たちの前に近づいてきたのです。霊界のすべての善霊たちも総動員され、皆様よりも一歩先に立って走っています。
(2010年 「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」より)
天国の訓練所
私たちは、教会生活を通して何を学ぶのか、教会は私にとってどういう存在なのか。真のお父様(文鮮明師)のみ言によれば、教会生活は天国の訓練所であるとあります。そういう意味で、天国がなされれば教会も宗教も要らないと思います。
では教会で何を学ぶかといえば、縦と横の関係です。信仰は縦と横です。アメリカのある教会の牧師から神学を学びましたが、いつも縦と横の話をしてました。信仰は、まず縦、すなわち神と私の関係、真の父母様と私の関係、この関係性を取り戻すこと、堕落と言うのは、この縦の関係性が切れたことです。復帰と言うものは、この関係性を取り戻すということです。だからまず本然の関係性を取り戻すこと、本然の神と私の関係性を取り戻すこと、本然の親と私の関係を取り戻す、その土台の上に、取り戻さなければならないのが、横の関係です。縦の関係が切れたので、横の関係も切れたのです。ですから縦の関係を取り戻した上で、横の関係を取り戻すのです。
本然の関係性
まず主なる神を愛しなさい、そしてあなたを愛するように隣り人を愛しなさいと聖書にも書いてあります。教会生活を通して、牧師(教区長)との関係性を通して、今までの家庭などにおけるあらゆる関係性を、霊界に行った時に神と私の関係に相応しい関係性を学び、訓練し、確立していかなければなりません。この訓練を通して、すでに霊界に逝かれた真のお父様と永遠に暮らす中での関係性を教会生活を通して訓練するのです。ですから中心者、牧会者をどのような眼で見るのか、単純にある若いリーダーとして見れば正しい関係性が作れません。結局リーダーと私の関係に過ぎないからです。そこには、本然の関係性を確立するという観点では、進展がありません。そうではなく、真の父母様が立てた中心者(牧会者)の背後の真の父母様を見ることです。そうすれば、皆さんは牧会者を通して背後の真の父母様と関係を結ぶのです。
教会に来て、あいさつは中心にしますが、実際は真の父母様にあいさつしているのです。例えば、何か小さなお菓子をもってきて、「教区長様、どうぞ食べてください」と言えば、外的には私に言っているようですが、実際は背後の真の父母様に捧げることになるのです。私(牧会者)の立場からすれば、皆さんからいただいたものに対して私がもらったという思いは無いのです。皆さんから何かいただいた場合には、まず祭壇に供えて、誰々さんが真の父母様にこれを持ってきましたといって、どうぞ召し上がってくださいと、皆さんと真の父母様との繋ぎ役をしている訳なんです。このような縦的な関係性を通して、本来の縦的な関係性を学び、確立し、訓練するのです。
教会生活
結局人間は、4大心情圏、4大愛を通過して完成するようになってます。しかし小さい時、親との十分な愛情の関係がないまま大人になった場合は、その情の穴があるのです。そのような様々な穴を教会生活を通して、教会の牧師との関係で、縦的な関係を結び、背後の真の父母様との関係を結びながら、今まで満たせなかった愛を完成させなければなりません。教会は単に真理や知識を学ぶ学校ではないのです。
人を生かす
また親をどう迎えるかが重要です。先日久しぶりに韓国に行って日本に帰ってきましたが、まず家族のいる福岡に帰った際に、私の顔をみるや6歳の娘が、周りの目は関係なく、高速道路を走るように飛んできて抱きついて来ました。これが本然の親子関係ではないかと思います。
私たちが、真のお父様や真のお母様に会う時、何か怖い存在を見るのでなく、見た瞬間に、6歳の娘が親を久しぶりに見た時のような関係性を普段の教会生活の中で備えて行かなければならないと思います。ですから、兄弟姉妹(教会の信徒同士)が会う時も、昨日会って、また今日会う場合でも、1年ぶりに会うように、あるいは死んだと思ったのに会えたような時の喜びで会わないといけません。昨日お会いしたある大学の先生が話してましたが、以前アメリカで真のお父様に初めてお会いした時、あまりにもフレンドリーに私に接してくれたので、この方と一緒になりたいと思ったと言ってました。そのような人物は人を感化するのだと思いました。そういうふうに人は生かされていくのです。
父の願い
真のお母様(韓鶴子総裁)は、今回の韓国で行われた新しい経典の発刊記念式の最後に、「皆さん、私がいまどれほど真のお父様の願いを成し遂げるために重い荷物を背負っているのか知っているでしょう? 皆さん、助けてくれますか?」と言われました。本然の関係性で見れば、助けてあげるのではなく、これは私の仕事ですと堂々と言うべきです。
福岡から茨城に戻る日、東京で会議があって、成田空港から電車を分刻みで乗り継ぐ予定でした。乗り継ぐ予定の駅に着くと、7分あれば十分間に合うと思っていたのですが、人身事故が影響して電車が遅れてきました。初めて利用するので、どこで切符を買うか、どのホームで乗るかが分からずに2つの荷物を引きづりながら走っては、駅員などに聞いて走っていると、どこどこ行きの電車の扉が閉まるアナウンスがあって、どうしようかと思いながらもホームに駆け下りて行きましたら、ちょうどゆっくり乗ろうとする年寄りの方がいて、ドアがあと20cmで閉まるところでしたが、瞬間に鞄をドアの間にはさんで乗車できました。その時、私は全力投球の意味を考えたのです。この電車に乗るまで、一瞬でもあきらめたらこの電車には乗れませんでした。これからの期間、真のお父様の願いを成し遂げるためには、この全力投球でいくしかないと思います。
そして私たちが霊界に行く時、先ほどの空港で出迎えてくれた娘との出会いのように、神様、真のお父様にお会いできるように今、そなえていきましょう。