2013年9月15日 鄭泰奭教区長様 「肯定の力」

◇今日のみ言:

 そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。             (コリント人への手紙Ⅱ 12章7~10節)

 

 神様が六千年間苦労して残された功績をすべて失い、興南収容所へ行った先生の悲痛な事情を皆さんは知りません。故郷を離れることが問題ではありません。妻子が問題ではありません。天と地の未来の希望として解放の民族が、私を歓迎しようとしていたその群れが、雲の中の地獄へと消えていく、暗黒世界に去っていくのを見て、痛哭しながら 「再び会おう」と叫んだのが昨日のことのようです。 「お前たちは消えていったが、私は再び私の行くべき道を歩み、光明の朝日を抱き、お前たちを再び探し出して解放しよう」と宣言したのが昨日のことのようです。手錠をかけられ、叫んだその声を、忘れることはありませんでした。困難な時、いつも祈祷したその姿を忘れることができません。    (天聖経「真の神様」より)

 

 肯定の力

この世を変えるという大きなビジョンの前に、我々が変わらなければなりません。神の国に相応しい我々に変わる必要があります。今日の題目は「肯定の力」です。

不幸な人と、幸せな人の違いは何でしょうか。色々な理由があると思いますが、物事の捉え方が違うということがあると思います。幸せな人は、同じ現象を見ても受け止め方が肯定的で、素直で、プラス思考です。不幸な人は、受け止め方が否定的な傾向にあります。これが時間が経つと習慣になり、自分もそうしたくないにも関わらず、習慣になってそういうふうに考えてしまうのです。人は考え方が大切です。考えが行動を決定し、行動が重なると習慣になり、習慣が人生になります。だから習慣が変われば運命が変わる、その習慣を変えるには、まず考えを変える必要があります。例えば、今日は礼拝なのになぜ雨なのか、礼拝に行けば服が濡れると思う人もいれば、久しぶりに恵みの雨だと、この雨でこの一週間不足だった自分の内容を洗い流せると、またこの暴風雨は、こんな雨でも私が礼拝に行くかどうかという神の試みであるとする人もいるかもしれません。

 

弱いところに神は働く

今日のみ言は、パウロの言葉ですが、パウロは体に病気があって神様に何度も祈って得た答えが、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」でした。この場合、普通でしたらマイナス的に、信仰が折れるような反応を示しがちです。しかしパウロは、全知全能の神がそう言われたのは、むしろ体に病気を与えることで高慢にならないように、当時のパウロは、ローマ市民権を有する者であり、ユダヤの学者の中の学者であり、割礼もしていて、何一つ不足のなく、さらにイエス・キリストに出会ったという最高の立場で、高慢になっても不思議でない立場でした。人は実績を出せば高慢になり、立場が上がれば高慢になり、しかしその人に決定的な弱い点が何点かあれば、それゆえに高慢になれない。謙遜にならざるをえないのです。パウロはそれを悟ったのです。弱いところ(病気)は神のプレゼントだと、肯定的に考えたのです。イエス・キリストが宿るように、むしろ弱さを誇ろうと。

私たちも言葉が上手でないから伝道できないと思いがちですが、そうではありません。言葉が上手でないから神が宿る。私が弱い時こそ、神様は私に宿るからである。弱いことを否定的に考えれば神は宿ることができないのです。私が弱いから神が宿るとして、喜んで弱いことを誇ろうとしたのです。ですから、神に祈らなくても、み言を訓読しなくても、あるいは献金をしなくても、家庭がうまくいくのは喜べるものではないのです。むしろ危ないことです。その人は神が要らないからです。いつか一瞬で消えていくのです。私たちに弱いところ(とげ)があるのは喜ぶべきことなのです。

 

困難な時こそ

真のお父様が、第二次大戦直後、すべての基盤を失い、今の北朝鮮の興南収容所に行った際、歓迎しようとして消えていった人たちを、希望を抱きながら、再び探して解放しようと決意したその心、誰もがマイナス的に考える、どんな苦労や迫害を受けても、光(希望)を見ることができる、光(希望)を訴えることができるその心を相続しなければなりません。私たちは困難な時は心情が落ち込むものですが、今日のみ言の最後にあるように、真のお父様は、困難な時にはいつも祈祷したとあります。困難な時は、パウロの言う”弱い時”なのです。だから弱い時こそ強くなれるので、その時こそ神が働くのです。我々は堕落性があるので、否定的に考えやすく、それだけでなく、同じような否定的な人を見つけては広げていくのです。
アメリカのある大きな教会の牧師さんのお母さんの話ですが、このお母さんはガンにかかって余命いくばくもない診断を受け子供たちはいつお母さんが霊界に逝ってもよいように準備をはじめましたが、その時このお母さんは、それではいけない、神様は私を愛するので、この末期がんは治るはずだとして、聖書から病気が必ず治ると思える希望的な言葉を30~40選んで、どこへ行っても叫んだのです。肯定的に宣布したのです。そうするうちに、体が良くなってきてガンが完治して、余命2週間と呼ばれた命がその後、20年以上も元気に永らえているのです。

 
考えは重要

真のお父様も与えて忘れなさいと言われますが、奉仕や献金など、心から感謝して捧げて忘れる時に所有が変わる、天のものとなる、所有が完全に変わって天に宝が積まれるということなのです。いつまでも覚えていては心の傷になるのです。

肯定的な考えを習慣づけていきましょう。

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